BLACK FLAG FESTA 2003
PUNK/HARDCORE ANARQUISTA GIG 2 DAYS

出演者紹介

黒鳥

Year 2003 Commemorating Tian An Men

★ 叛逆の「アーション」
メArtionモ of Defiance by Guo danian

 Beuys は、以前、次のように宣言した。芸術の究極目標は、我々を自由にすることである。そうした芸術こそ自由の科学なのだ。80年代初頭以来、「パフォーマンス=アート」もしくは、「アーション」──アートの名の下になされる行動的アクションについて私が作った新しい言葉だ──は、中国北京の中心部で急成長し始めている。それ以来、20年以上にもわたり、パフォーマンス=アートは、中国の芸術シーンと社会現実の常態(normality)に対する象徴的かつ実質的な叛逆を担ってきた。多くの芸術家が、自分の創作物が持つ断固たる叛逆のスタンスのためにトラブルに巻き込まれた。その作品群は、意義を全く認めぬ独裁体制からゆっくりと出現している人間性の顔に関する集団的ドキュメントである。本報告は、200364日に、筆者と、広州在住のアーティスト Xi xin が企図したアーションの記録である 。1989年の64日に天安門でなされた虐殺は、14年経過した今でも、中国では一般にタブーである。死んだ人たちの追悼は許されず、事件に関する公の議論も持つことはできない。歴史の窓にぽっかり空いた空白ページなのである。

 200363日。列車はガタガタ言いながらトンコワンから広州に北上していた。私は心理的強迫観念を払拭できないまま、そこにいた。自分が以前一緒に遊んでいた子供たちのこと、ROA (Rights of Abode) 大学にいる私の生徒たちのこと、SMRC(社会運動リソースセンター)の仲間たちのこと、家族と愛した人たちのことを考えていた。誰もが尊く大切だと私は信じている。だが同時に、集団的ヴィジョンと闘争は、一人が欠けたからといって何らバラバラになるようなものではない、とも信じている。このアーションのため、私はいかなることが起こっても構わないように用意していたのだった。

 先月、北京からの電子メールによれば、私は今も「ブラックリスト」に載っているのだという。こうした確証のないうわさ話にも関わらず、私は中国をもっとポジティブに見た方が良いと思っている。6ヶ月前、私は中国の公安に初めて出会った。逮捕されていた友人が「法的」説得によって拘留から解放されたというこの経験は、中国(その様々な官僚制度レベルを含む)が専制政治の暗黒時代を抜け出して大股で前進していると、私に考えさせたのだった。

 だが、恐ろしい話は今だに新聞の見出しを飾っている。先月、他県(outer provinces)からやってきた青年が、広州警察署に拘留中、殴打され死亡したばかりだった。この事件に中央政府は驚愕し、最終的に、地方の身分証明書類に関する不正な法律は崩壊したのだった。もう一つの事件には、中国共産党(CCP)全国党大会中 に、北京の青年アーティストが行ったパフォーマンス=アート作品についてだった。彼は、風刺的な作品を上演したが、そこには裸体が含まれ、「人民は自分自身の統治を決定する権利を持っている」と宣言していたのだった。上海で演じられたときには、警察とは何の問題も引き起こさなかった。だが、広州でこの作品を行ったときには逮捕されたのである。この作品のドキュメントを取っていた写真家も逮捕された。二人とも、拘留中は辛い経験をし、その後まで重大な心の傷を負ってしま ったのだった。

 『今日まで、私たちは、何処が安全なのか・何時が安全なのか・何を行うことが安全なのか、全く自信を持てないんです。』 今回のアーションを私が共に行うアーテ ィスト Xi xin は打ち明けてくれた。こんな時代には、活動することそれだけでも既に叛逆の表明なのである。

 一種の秘密協定が結ばれ、6月4日の虐殺犠牲者を追悼するパフォーマンス=アート作品を、同じ日の午後に北京と広州で同時に演じることとなった。

 当局がこうしたアーティストとその作品をどのように解釈するかは、全く分からない。これには危険が伴っているが、それは、アーティストと当局とが公衆の面前で対決したときの実際の情況的力関係に依存していることが多い。広州での計画の初期段階では、参加したいと思っていた熱狂的な人々が数多くいた。だが、その大部分は、個人的に検討した結果、観客の役割を演じることに決めた。結局、実行者として残ったのは、Xi xin と香港からの自分だけだった。

 64日、昼下がり。私たちは Xi xin の家でアーションの流れについて話し合っていた。私は香港に電話を掛けた後、作品用の素材を買いに出かけた。購入したのは、燃えやすいアルコール度数をもった紹興酒・死者に捧げる花・「天」(天国)と「探」(探求)という漢字の128個のコピー・花を包んで燃やすためのアルミホイルだった。

 身分証明書だけでなく、微妙な個人的持ち物(電話帳・計画の書いてあるノートなど)を自宅においてきた。しかし、Xi xin は、私が中国共産党の憲法が書かれた小さなポケット判の赤本を携帯していたとは思っていなかった。その34条項には、 次のように明記されている。『全党員は、人民によって委託された権力を正しく行使しなければならない。官僚制度と詐欺的不正行為に対する人民の批判と監視を誠実に受け止めねばならない。』 私は、最悪の事態になった場合に、公安と共にこれを読もうと思っていたのだった。

 午後6時。私たちは広州美術館があるErsha島に着いた。美術館の裏には、Zhu Jiang 川が流れ、この川は南中国海へと注いでいる。この作品は、広大な大地から空から天国へ、そして、「外の」世界へと繋がっている大洋の限界を超えて(outward bound to)、人間性を探索することを比喩的に示唆している。その精神的意味で、非常に中国文化的な希望なのである。

 このアーションについて知らされた人々が次第に集まってきた。

 私たちは、アーションを開始した。

 Xi Xin がロープに結んだプラスティックのバケツを使って、川から水を汲み上げ ようとしている。

 バケツに入った水を、歩道にそって敷石にまいている。

 そして、A4サイズの128枚の紙(それぞれの漢字が64枚ずつ)を濡れた地面に貼り 付け、川に向かって8x8四方ののブロックに漢字を整列させている。

 紙のレイアウトは、実際に、道教の儀式で使われるものだった。

 見物人の中には、一緒に漢字を並べた人たちもいた。

 犬を連れた女性が歩いてきて、当惑しながら次のように尋ねた。「これは一体何ですか?」 私は答えた。「これは、アーション作品の一つで....」 Xi Xin がはっきりと言った。「今日は、64日大虐殺の14周年なのです。」 彼女が連れた黒い犬が吠え始め、まるで苦悩と悲しみを嘆いているかのようだった。ギャング映画の兄貴分によく似た、髪を金髪に染めた半裸の男性が、歩道沿いのベンチに座り、石のような悲しい顔で眺めていた。

 128番目の最後の文字が地面に置かれたとき、私は自分が昔作った歌「Shengdaran」を唄い、沈黙の時間を引き裂いた。この歌は、伝統的な中国古歌のメロディを持った独唱歌で、独裁政治と、中国共産党に繋がるその系統を批判している。形式は古典的であるが、扱っている問題は現代的なのである。

 私は、自分の肺で可能な限り、一節一節をを泣き叫びながら、ゆっくりとしたペースで漢字の配列の周りを回った。詩の一節一節がサウンドバイトのように川に飛んでいった。唄とその大きさ(the song and its volume)が集まった人たちを打った。不安な緊張が人々の間に醸し出されていた。人々はウロウロし始めた(People started to scout around)。だが、この作品の完成が第一であり、最上だった(foremost and utmost)。私たちは続けた。Xi xin は、銀紙でコーンのような形に花を包んだ。彼は最初に、紹興酒をボトルからラッパ飲みし、残りを花束にかけ、花を完全に湿らせた。彼はライターを取り出した。花束に火がついた。私の声が、花が燃えるのに伴って、フィナーレを迎えた(My vocal accompanied the cementa tion of the flowers to its finale.)。「死んだ人々のために」と Xi xin は言 った。

 この瞬間が私にとってどれほど重要なものなのか、誰も理解してはいなかっただろう。この日、中国の地で、この作品の文脈の中で、断固たる意志を持ってこの唄を私は唄っているのである。個人的な意味は絶大だったのだ。

 暗い川辺の光・紹興酒の火・魂の唄。終了すると、涙が心の奥深くからこみ上げてきていた。14年経ったのだ!

*

 火は消えた。私たちは天国の涙でずぶぬれになった紙を集め、川に放り投げ始めた 。中国では、ある種の未加工紙を海に投げることで、死人の魂が呼び覚まされる、とされている(For the Chinese, a certain kind of raw paper is used to call to the souls of the dead, by throwing them into the sea.)。私たちの行為も同様の絶望のメタファーを持っていた。コピーされた紙が、漢字を上向きにしたり、下向きにしたりして、川の表面を覆っていた。海に向かって流れに漂いながら、まるで失われた魂の探求をしている長い行列のようだった。Zhu Jiang 川の河口へと消えていく128枚の紙を見ながら、この作品は本当に終了した。集まっていた人々は散っていった。30分間の作品だった。公安は一人として現れなかった。

 私たちは、川からさほど離れていない道ばたの屋台へと飲みに行った。参加した14人(その多くが広州芸術学校の学生だった)の内、たった一人だけが、14年前の64日に起こったことに関する議論に恐れず加わっていた。結局、これが広州なの だ。Xi xin は天安門事件に関する多くの話を、涙を流しそうになりながら、再び語った。他の人たちは、静かに聞いていた。

 民主主義に向かう中国の長い行程は、マラソンのようなものだ。70年代後期に有名な Li-Yi-Zhe の大きな人物ポスター(Li-Yi-Zhe Big Characters Poster)を作った 三人の内の一人、Li Zheng Tian は、今も生きており、広州芸術学校で生活し、芸術とヒューマニズムの発見について若者たちを啓蒙している。彼は、最近、中国ヒューマニスト協会を設立し、未来への発展の可能性を示している(holds fort to its development into the future.)。彼の以前の仲間、Wang Xi Zhe は、台湾で Kuomintang を得ようとしている(His former buddy Wang Xi Zhe courted with th e Kuomintang in Taiwan)。1989年の天安門事件から出現した10年ほど若い新しい世代の活動家(Wang Dan のような)は、新しい中国を構築するあり得べき未来の一部に備えて、進んで海外で勉強している。失敗もあれば、ロードランナー(road-r unners)もあるのである。

 だが、誰もが分かっているように、あらゆる出来事と行動は地域的でなければならない。支援者としての外国は、常に、補完的なもので、外的なものである。地域的・内部的活力がなければ、あらゆる闘争は時間の経過と共に持続することが難しくなる。

 このように、私は自分で拒否できない決定をしたのだった。200364日、5万の人々が、香港のヴィクトリア公園に集まり、あの悲劇を追悼したが、この都市からたった一人の人間がアーションのために広州にやってきたのだった。これは、私たち皆にとって、自由の生態学、叛逆のアーションの扇動なのである。望むらくは、これが熱情を灯すマッチになって欲しいものだ。

(翻訳:森川莫人)

【原文】
http://melior.univ-montp3.fr/ra_forum/cn/2003hk.html

《黒鳥紹介ページに戻る》
《出演者紹介ページに戻る》