日本アナキズム運動文庫

入獄紀念 無政府共產

内山愚童

凡例

一、この本は、大逆事件で死刑に処された天室内山愚童和尚の秘密出版の第一である。和尚の参考人調書及び被告人調書等の記載に拠れば、一九〇八(明治四一)年九月に「何ンデモ一日カ半日位デ書テ終」ひ、翌一〇月に一〇〇〇部印刷、月末から翌月にかけて、森近運平主催の『大阪平民新聞』の読者名簿によつて全国に発送された。齋藤昌三の『現代筆禍文獻大年表』によれば、同年一二月には、著者、発行所不詳のまゝ発売禁止となつてゐる。

一、現存が確認できるのは小松隆二蔵本及び柏木隆法蔵本の二册、『証拠物写』に記録された官憲側写本「四三押第一號九三-二」の一本である。体裁は菊半截、表紙とも一六頁。表紙及び内題の「小作人ハナゼ苦シイカ」は、和尚彫刻の木版である。「素人が寺で、ひとに気づかれぬようになれぬ手つきで活字をひろい、植字をし、古い印刷器で印刷」したものであり、「活字不足で漢字で書くべきところを平がなや方かなの音で書いたところや当字を入れたところも多」く「総体に見て、きたなく読みづらい。」(森長『内山愚童』)

一、翻刻にあたつて、かつて柏木が影印出版した小松隆二蔵本を底本とし、その不鮮明で読み難きところは、写本「四三押第一號九三-二」を参照した。

一、読みやすさを考へ、森長の言ふ「漢字で書くべきところ」「当字」等は、漢字書きに復し、〔 〕の内に原表記を注記するとともに、句読点の打ち方を現行の標準に改めた。

一、この本には、別に柏木隆法の翻刻(柏木『大逆事件と内山愚童』所収)、吉田久一の写本「四三押第一號九三-二」からの翻刻(吉田「内山愚童と高木顕明の著述」『日本歴史』一三一号所収)がある。

小作人ハナゼ苦シイカ

人間の一番大事な、なくて[は]ならぬ食物を作る小作人諸君。諸君はマアー、親先祖の昔〔むかし〕から、此人間の一番大事な食物を、作るコトに一所懸命〔一生懸命〕働いておりながら、來〔く〕る年も來〔く〕る年〔とし〕も、足らぬたらぬで終るとは、何たる不幸の事なるか。そは佛者の云ふ、前世からの惡報であらう〔原作あらふ〕か。倂し諸君、二十世紀といふ世界的〔てき〕の今日では、そんな迷信に騙〔だま〕されておつては、末には牛や馬のやうにならね[ば]ならぬ。諸君はそれを嬉しい〔ウレシイ〕と思ふか」

來る年〔とし〕も、來〔く〕る年〔とし〕も貧乏して、足〔た〕らぬ、足〔た〕らぬと嘆くことが、もしも、冬の寒い時に、老いたる親をつれて、逗子〔づし〕や、鎌倉〔かまくら〕、沼津〔づ〕や、葉山と、寒〔さむ〕さを厭ふて遊んで歩〔ある〕いた爲だといふならば、そこに堪忍〔勘忍〕のしよう〔しやう〕もある。もしも夏ノ暑い時に、病める妻子〔ツマ子〕を引きつれて、箱根や日光に、暑さ〔アツサ〕を避けタ其爲〔タメ〕に、今年〔ことし〕は少し足ら〔タラ〕ぬとでもいふなラば、ソコニ慰める事も出來よう〔できやう〕

今年〔ことし〕は長男をドイツに遊學させ、弟を大學に、娘を高等女學校へ入れタノデ、山林を一町賣〔ウツ〕タとか、田地〔デンチ〕を五反〔たん〕質入したとか、いふならば、後の樂[み]を當〔ア〕テにして、妻〔ツマ〕との寢物語〔がた〕りも苦[し]くはなからう。ところが諸君の年が年中、足〔タ〕ラヌ足〔た〕らぬといふのは決して、そんな贅澤〔ゼイタク〕な譯〔わけ〕ではない。正月が來〔き〕たとて、盆〔ボン〕が來〔き〕たとても、新〔あた〕らしい着物一枚〔まい〕〔き〕るではなし、世〔よ〕は二十世紀の文明で建築術は進んだといふても、諸君の家には、音沙汰〔さた〕がない。諸君の家は、五百年も千年〔ねん〕も、已前〔イゼン〕の物である。しかし、それは少しも無理ではない。着物は呉服屋〔ゴフクや〕に、錢〔ゼニ〕を出〔だ〕さねばならぬ。家は大工に手間賃〔手まちん〕を、拂はねばならぬ。しかも諸君は悲いことに、其錢〔ぜに〕を持たない。そこで諸君の着物はいつもボロボロで、家は獸の巣のやうである」

しかしナガラ、食物〔食もつ〕は諸君が自分〔じぶん〕で作るのであるから、一番〔一ばん〕上等のモノを、食〔く〕ふておるかといふに決してそうではない。上等の米は地主にとられて、自分〔ジブン〕は粟飯〔粟めし〕や、麥飯〔ムギめし〕を食して、そうして地主よりも商人よりも多く働いておる。それデすら、來〔く〕る年モ足〔タ〕ラぬ足〔タ〕ラぬといふのが、小作人諸君、諸君が一生涯の運である。」

これはマア、どうした譯〔ワケ〕であらうか。一口に歌つて見れば、

なぜにお前〔おまい〕は貧乏する、譯〔ワケ〕を知〔し〕らずば、聞〔き〕かせうか〔しやうか〕

天子金持〔もち〕、大地主、人の血を吸〔す〕ふダニがおる。

〔「社會主義ラッパ節」『勞働者』第三號より引用〕

諸君はヨーク考へ〔かんがい〕て見たまへ。年が年中、汗〔あせ〕水流〔なが〕して作つた物を、半分は地主と云ふ泥坊に取られ〔トラレ〕、殘〔のこ〕る半分で、酒や醬油や鹽や肥やし〔こやし〕を買ふのであるか、其酒にも、肥やし〔コヤシ〕にも、全て〔スベテ〕の物に、殘らず〔ノコラズ〕政府と云ふ大泥坊の爲に取られる〔トラレル〕稅金がかゝつて、其上に商人と云ふ泥坊が、儲け〔モウケ〕やがる。ソコデ小作人諸君のやうに、自分の土地と云ふもの〔者〕を持たずに、正直に働いておる者は、一生涯貧乏と離れる〔ハナレル〕事は出來ないのである」

マダそればかりならヨイが、男の子が出來れば長い〔ナガイ〕間、貧乏のなかで育てあげ、ヤレ嬉しや〔うれしヤ〕、コレカラ、田畑〔でんばた〕の一枚〔まい〕も余分に作つて、借金なしでも致したいと思ふまもなく、廿一となれば、イヤデモ何でも、兵士にとられる。そうして三年の間、小遣錢〔ゼニ〕を送つて、聞きたく〔キヽタク〕もない、人殺し〔ゴロシ〕の稽古〔けいこ〕をさせられる。それで戰爭になれば、人を殺すか、自分で(が?)殺されるかと云ふ、血生臭い〔血なまグサイ〕所へ引つぱり出される〔だされる〕

〔セガレ〕が兵士に三年とられておるうちに、家におる親父〔おやぢ〕は、妻子〔ツマコ〕をつれて乞食〔コジキ〕に出だしたといふ者もある。兵士に出た〔でた〕〔セガレ〕は、うちが貧乏で、金は送つてくれず、金がなければ、古兵に苛め〔イジメ〕られるので、首を括つて〔クヽつて〕死んだり、川へ飛込んで〔とびこんで〕死んだり、又は鐡道で死んだりした者が、何程〔何ほど〕あるか知れぬ〔しれぬ〕のである。

こんな具合〔グアエ〕に、小作人諸君を苛める〔イジメル〕のだもの、諸君が、朝は一番鷄〔一番ドリ〕に起〔お〕き、夜は暗らく〔クラク〕なるまで働いたとて、諸君と貧乏は、離れる〔ハナレル〕ことではない」

コレハ全體何故〔なぜ〕であらうか。同じ〔おなじ〕人間に生れて〔うまれて〕おりながら、地主や、金持ち〔かねもち〕の家に、生る〔うまる〕れば、廿四五までも、卅マデモ、學校や外國に遊ンデおつて、そうして、うちに歸〔かい〕れば、夏は涼しき〔スズシキ〕〔ところ〕に暑さを凌ぎ〔シノギ〕、冬は暖かき〔あたゝかき〕海岸に家を建つて〔たつて〕、遊び暮し〔くらし〕ておるデハナイカ。自分は桑の葉〔は〕一枚摘み〔ツミ〕もせずに、絹〔キヌ〕の着物〔きもの〕に包まつて〔ツヽマツテ〕、酒池肉林と贅澤〔ゼイタク〕をして、何にも〔なんにも〕せずに、一生を遊び送るノデアル。諸君は、知らぬ〔シラヌ〕デあらうが。

大地主や金持〔かね持〕か、夏の卅日を日光や箱根デ遊ぶのに、一人デ、二干や三千の金を使ふ〔つかふ〕と云ふではないか。三干圓とよー。諸君が廿歳の年〔とし〕から五十歳まで、休〔ヤス〕まず食はず〔クワズ〕に働いても、三千圓といふ金〔カネ〕は出來まいではないか。そうして、其人たちは兵士などには出なくても宜いのデある」

小作人諸君。諸君もキット今の金持や大地主のやうに、贅澤〔ゼイタク〕をしたいであらう。偶には〔タマニハ〕遊んでおつて、ウマイ物を食〔た〕べたいであらう。けれども、それが諸君に出來ないといふのは、諸君が一つの迷信を持つておるからである。親〔オヤ〕先祖の昔〔ムカシ〕からコノ迷信を大事にしておつた爲に、地主や金持のスルヤウナ贅澤〔ぜいたく〕を夢にも見ることが出來ないのである。諸君が我々〔われ〳〵〕の言ふ事を聞いて〔キイテ〕、今すぐにも其迷信を捨てさへ〔ステサイ〕すれば、諸君は本當〔ほんとう〕に安樂自由〔自ゆう〕の人となるのです。

しかし、天子や金持は、諸君にコノ迷信を捨てられ〔すてられ〕ては、自分たちが遊んで贅澤〔ゼイタク〕をすることが出來なくなるから、昔〔ムカシ〕ヨリ天子デモ大名〔大ミヤウ〕でも、この迷信をば、無くてはならぬ難有き〔アリガタキ〕ものにして諸君を、欺〔あざむ〕いて來た〔キタ〕ノである。それだから、諸君の爲には、今の天子デモ大臣デモ、昔の德川モ大名〔大ミヤウ〕も、親〔おや〕先祖の昔から、恨み重なる〔カサナル〕大敵〔だい敵〕デあるといふことを忘れテハナラヌ」

明治の今日も其とほり〔とふり〕。政府は一所懸命〔一生ケン命〕で、上は大學の博士〔ハカセ〕より、下は小學校の敎師までを使ふて、諸君に此迷信を捨てられぬ〔すてられぬ〕ヤウニしておる。そして諸君は又、之を難有く〔ありがたく〕思ふておる。だから諸君は一生涯、イヤ孫子の代まで、貧乏と離れる〔ハナレル〕事は出來ない。然らば小學敎師などが、諸君や諸君の子供に敎えこむ迷信と云ふのは何であるか。迷信といふは、間違つた〔マチガッタ〕考へを大事本尊〔本ぞん〕に守つておる事を云ふのである。何故に〔ナゼニ〕諸君が昔から、此間違つた〔マチガッタ〕考へを持つておるかと云ふことはあとにして、どう云ふ間違つた〔マチガッタ〕[へ]が迷信であるかといふことを語つてみよう〔みやう〕

△諸君は地主から田や畑を作らして〔つくらして〕貰ふ〔モロウ〕カラ、其お禮として小作米をヤラネばならぬ。

△諸君は、政府があればこそ、吾々百姓は安心して仕事をしておることが出來る。其お禮として稅金を出さねば〔ださねば〕ならぬ。

△諸君は國に軍備〔グン備〕がなければ、吾々百姓は外國の人に殺されてしまふ。それだから若い丈夫の者を、兵士に出さねば〔ださねば〕ならぬ。

と云ふ。此三ツの間違つた〔マチガッタ〕考へが深く浸み〔シミ〕込んでおるから、イクラ貧乏しても、小作米と、稅金と、子供を兵土に出すことに、反對〔ハン對〕することが出來なくなつておる。モシモ小作米を出さなくも〔ださなくも〕宜しい、稅金を納めなくても〔おさめなくても〕宜しい。かはいゝ〔かわい〕子供を兵士に出さなくても〔ださなくても〕宜しいなどゝ云ふ者があれば、ソレハ謀叛人〔むほんにん〕である、國賊である、などゝ云ふて、其實〔じつ〕自分たちの安樂自由の爲になることを、聞く事も讀む事もせずにしまふ。コヽハ一番よーく考へて、讀んでいたゞきたい」

然らば、ナゼ小作米を地主へ出さなくても〔ださなくても〕宜しいもの〔者〕かと云ふに、ソレハ小作人諸君が、耕す所の田や畑を、春から秋まで、鋤も入れず〔いれず〕、種〔タネ〕も播かず〔まかず〕、肥やし〔コヤシ〕もせずに、放つて〔ホツテ〕おいて御覧〔ゴらん〕なさい。秋が來〔き〕たとて米一粒出來ませぬ。夏になつても麥半粒〔ツブ〕穫れる〔とれる〕もの〔者〕でない。コヽを見れば、スグに知れる〔しれる〕ではないか。秋になつて米が出來〔でき〕、夏になつて麥が出來る〔できる〕のは、百姓諸君が一年中、汗水〔アセ水〕流し〔ながし〕て、休まず〔やすまず〕に働いた爲である。ソウして見れば自分が働いて出來た米〔コメ〕や麥は、殘らず〔ノコラズ〕百姓諸君のものである。何を寢惚けて〔ネボケテ〕地主へ半分出さねば〔ださねば〕ならぬと云ふ理屈〔理クツ〕があるか」

土地は天然自然〔しぜん〕にあったもの〔者〕を、吾等の先祖が開墾〔開こん〕して 食物の出來るやうにしたのである。其土地を耕して〔たがやして〕穫つた〔トつタ〕物を、自分のもの〔者〕にするのが、何で謀叛人〔ムホンニン〕である[か]

小作人諸君。諸君は、長い〔ながい〕〔あひだ〕地主に盗まれて來た〔きた〕のであつたが、今といふ今、此迷[ひ]が醒めて〔さめて〕見れば、長〔なが〕い長い〔ながい〕〳〵恨みの腹癒せ〔ハラヰセ〕に、年貢〔年ご〕を出さぬバカリでなく、地主〔ヂヌシ〕の倉〔クラ〕にある、麥でも金でも取返す〔トリカヘス〕權利がある。地主〔ヂヌシ〕の倉〔クラ〕にアル全て〔すべて〕のもの〔者〕を取出す〔トリダス〕ことは、決して泥坊ではない。諸君と吾等が久しく奪はれたるもの〔者〕を、回復する名譽の事業である。

次に〔ツギニ〕、政府に稅金を出さなくても〔ださなくても〕宜しいと云ふことは何故ナゼであるか。小作人諸君。難しい〔ムヅカシイ〕理屈〔理くつ〕はいらぬ。諸君は政府といふもの〔者〕のある爲に、ドレダケの安樂が出來ておるか。少しでも之が政府様の難有い〔アリガタイ〕所だといふことがアツタナラ、言つてみたまへ〔見たまい〕。昔から泣く子と地頭には勝たれぬといふて、無理な壓制をするのか、お上の仕事と決つて〔キマツテ〕おるではないか。コンナ厄介の者をイカシておく爲に、正直に働いて稅金を出す〔だす〕小作人諸君は 貧乏しておるとは、馬鹿の骨頂〔頂上〕である。

諸君は、こんな馬鹿らしい政府〔政フ〕に稅金を出すことをやめて、一日も早く〔ハヤク〕厄介ものを亡ぼして仕舞はう〔シマフ〕ではないか。そうして親先祖の昔より、無理非道に盗まれた政府〔政フ〕の財產を取返し〔トリ返し〕て、みんなの共有にしよう〔しやう〕ではないか。之は諸君が當然の權利で、正義を重んずる〔おもんずる〕人々は、進んで萬民が自由安樂の爲に政府に反抗すべきである。

今の政府を亡ぼして、天子のなき自由國にすると云ふことが、何故〔ナゼ〕謀叛人〔むほんにん〕のすることでなく、正義を重んずる〔おもんずる〕勇士のすることであるかと云ふに、今の政府〔政フ〕の親玉たる天子といふのは、諸君が小學校の敎師などより騙されて〔ダマサレテ〕おるような、神の子でも何でもないのである。今の天子の先祖は、九州の隅〔スミ〕から出て、人殺しや、强盗〔ごう盗〕をして、同じ泥坊仲間〔なかま〕の長脛彥〔ナガスネヒコ〕などを亡ぼした、いはゞ熊坂長範〔熊ざか長範〕や大江山〔大え山〕の酒呑童子の、成功した[も]のである。神様でも何でもないことは、少し〔スコシ〕考へて見ればスグ知れる〔しれる〕。二千五百年ツヾキ申した〔もうした〕といへば、サモ神様でゞもあるかのやうに思はれるが、代々外は蠻夷〔バンエイ〕に苦しめられ、内は家來〔ケライ〕の者に玩具〔オモチャ〕にせられて來たのである。

明治になつても其如く、内政に外交に天子は苦しみ通しであらうがな。天子の苦しむのは、自業自得だから勝手であるが、それが爲に、正直に働いておる小作人諸君が、一日は一日と、食ふことにすら苦しんで〔くるしんで〕おるのだもの、日本は神國だなどゝ云ふても、諸君は少しも、難有く〔アリガタク〕ないであらう。

コンナニ判りきつた〔わかりきつた〕事を、大學の博士〔ハカセ〕だの學士だのと云ふ弱虫〔ヨワムシ〕共は、言ふことも書く〔かく〕ことも出來ないで、嘘〔ウソ〕八百で人を騙し〔ダマシ〕自らを欺いておる。又小學校の敎師なども、天子の難有い〔アリガタイ〕事を說く〔とく〕には困つて〔コマツテ〕おるが、ダン〴〵嘘〔うそ〕が上手になつて、一年三度〔ど〕の大祝日には、空惚〔ソラトボ〕けた眞似〔まね〕をして、天子は神の子であると云ふことを、諸君や諸君の子供に敎へ込んでおる。そうして一生涯、神の面を被つた〔かぶつた〕泥坊の子孫の爲に、働くべく、仕ふ〔使ふ〕べく敎えられるから、諸君は、イツマデも貧乏と離れる〔ハナレル〕コトは出來ないのである。ココまで說けば〔とけば〕、イカニ堪忍〔勘忍〕づよい諸君でも、諸君自身の、奪はれておつたもの〔者〕を取返す〔トリカエス〕爲に、命がけの運動をする氣〔き〕になるであらう。

小作人諸君。諸君は久き〔ひさしき〕迷信の爲に、國に軍隊〔グンタイ〕がなければ、民百姓は生きておられんもの〔者〕と信じておつたであらう。ナルホド、昔も今も、いざ戰爭となれば、軍隊〔ぐんたい〕のない國は、ある國に亡ぼされてしまふに決つて〔極つて〕おる。けれども之は、天子だの政府だのと云ふ大泥坊があるからなのだ。

戰爭は政府と政府との喧嘩〔ケンクワ〕では〔わ〕ないか。ツマリ泥坊と泥坊が、仲間〔ナカマ〕喧嘩〔げんくわ〕する爲に、民百姓が難儀〔なんぎ〕をするのであるから、この政府といふ泥坊をなくしてしまへば、戰爭といふもの〔者〕は無くなる。戰爭がなくなれば、かはいゝ〔かわい〕子供を兵士に出さなくても〔ださなくても〕宜しいと云ふことは〔わ〕、スグに知れる〔しれる〕であらう。

ソコデ小作米を地主へ出さないやうにし、稅金と子供を兵士にやらぬやうにするには、政府と云ふ大泥坊を無くしてしまふが一番早道〔はやみち〕であるといふことになる。
然らば如何に〔いかに〕して、此正義を實行するやと云ふに、方法はいろ〳〵あるが、先づ〔マヅ〕小作人諸君としては〔わ〕、十人でも廿人でも連合して、地主に小作米を出さぬ〔ださぬ〕こと、政府に稅金と兵士を出さぬ〔ださぬ〕ことを實行したまへ。諸君が之を實行すれば、正義は友を增す〔ます〕ものであるから、一村より一郡〔ぐん〕に及ぼし、一郡〔ぐん〕より一縣にと、遂に日本全國より全世界に及ぼして、コヽニ安樂自由なる無政府共產の理想國が出來るのである。

何事も犠牲なくして出來るもの〔者〕ではない。吾と思はん〔思わん〕者は此正義の爲に、命懸け〔いのちがけ〕の運動をせよ」

〔ヲワリ〕

此小册子は、明治四十一年六月廿二日、日本帝國の首府に於て、吾同志の十餘名が、無政府共產の赤旗を掲げて、日本帝國の主權者に抗戰の宣告をなしたる爲に、同年八月廿九日、有罪の判決を與へられた。

大杉   榮    荒畑  勝三    佐藤   悟

百瀬   晉    宇都宮 卓爾    森岡  永治

堺   利彥    木村 源治郎    大須賀 さと

山川   均    小暮  れい    德永 保之助

右諸氏が入獄紀念の爲に、出版したのである」

此小册子は、一年もしくは四年の後出獄する同志の不在中、在京僅少の同志が、心ばかりの傳道であります」

此小册子を讀んで、來るべき革命は、無政府共產主義の實現にあることを意得せられし諸君は、目下入獄中の同志に、はがきにても封書にても送られたし。これ入獄諸氏に對する唯一の慰めで、かつ戰士の膽力を研鑽する福音であります。

入獄諸氏に送らるゝ手紙は、

東京市牛込市ケ谷 東京監獄在監人 何々君

と書き、そうして差出人の住所姓名を明らかにして出して下さい」

此小册子は、長き〔ながき〕〳〵迷信の夢より諸君を呼び醒まし、近い〔ちかい〕將來になさねばならぬ、吾等の革命運動を謬釋せざる爲に、廣くかつ深く傳道せねばならぬのでありますから、無政府共產と云ふコトが意得せられて、ダイナマイトを投ずるコトをも辭せぬといふ人は、一人も多くに傳道して貰ひたい。しかし又、之を讀んでも意得の出來ぬ人は、果して現在の社會は正義の社會であるか、又吾人の理想は、今の社會に滿足するや否やを、深く取調べを願[ひ]たい」

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